Text:篠崎賢太郎(Kentaro Shinozaki)
ダンス・ミュージックに詳しい方であれば、タレントふかわりょうさんが音楽家の側面も持っていることはきっとご存じでしょう。ROCKETMANとして長きにわたりDJ活動と音楽制作を行い、テレビで見せる芸風とは全く異なるビートを聴かせてくれる彼。高揚感あふれるトラックもさることながら、どこか切なさをまとったエモい楽曲も特徴です。そんなROCKETMANの音楽はどんなバックグラウンドから形成されているのでしょうか。音楽家・ふかわりょうを掘り下げます。
目次
音楽クリエイター・ふかわりょう、音楽人生の歩みと新作『退廃惑星』のサウンド・メイクについて語る
みんなと好きな音楽が一致しない
——初めまして! 今回はふかわさんが楽器を始めたきっかけや、どのように曲作りを楽しんでいるかを真面目にお聞きしたいと思います。
ふかわ はい、分かりました。
——ふかわさんが初めて演奏した楽器は何だったのでしょう?
ふかわ 意識的にはピアノです。父の意向で習わされていたんですが当時は男が習うことには偏見があって、からかわれる対象だったんです。だから、先に兄が習わされているのを見て、自分はそんな風には絶対ならないぞと誓っていたんですが、小学3年生のときにしぶしぶ習い始めたら、兄よりものめり込んでしまって。
——クラシック・ピアノを習っていたのですか?
ふかわ そうです。ただ、クラシックのピアノって運指が大変じゃないですか。間違えるとストレスで、家ではスタンダード・ナンバーを弾いてみたりもしました。父もピアノを弾くので、ジャズの譜面も家にあって。勉強中に漫画を見るような感覚ですよね。それで何となくジャズやボサノバのハーモニーやコード感を覚えていったというか。
——音楽リスナーとしてはどんな曲を聴いていましたか?
ふかわ 兄の影響が大きくて、クラスメイトよりも兄から浴びる音楽の方が圧倒的に多かったです。兄が見ていたテレビ番組の影響で、小学生でカルチャー・クラブ、ビリー・ジョエル、イエス、ライオネル・リッチーなどを浴びるように聴いていたので、そこで培われたものがあると思います。
——日本の音楽にはそんなに興味は無かったのですか?
ふかわ オフコースや渡辺美里さんも聴いていました。
——メロディや歌詞に魅力を感じていたのですか?
ふかわ はい、それでもまだ満たされない感じがあったんです。“もっと何かあるんじゃないか?”と思って、高校生のときはタワーレコードやHMVのワールド・ミュージックやV.A.(ヴァリアス・アーティスト)のコーナーに行って、むさぼるように“ジャケ買い”をしていました。とにかく、何かを求めてお店の端っこに行っていたんですよね。ボサノバからラウンジ・ミュージック。CDも玉石混淆で、だからこそ自分に合った音楽を探すという楽しみがありました。
そういう過程の中で、当時、J-WAVEが日曜深夜の停波のときに流す音があったんです。インスト曲なんですが、エレクトリックでアンビエントな浮遊感があり、深夜にたまに遭遇するこの音は何だ!?と、魂がグワーっと抜き取られる感覚があって、そういう体験が音楽への情熱に結び付いていきました。自分の中で音楽の橋脚がバシバシと作られていく感じでしたね。
——あえてメジャーなものよりも端っこにある音楽を好んでいたのですか?
ふかわ 意識していたわけじゃないんです。心のすき間を埋めてくれたのがたまたま端にあっただけで。覚えているのが、セルジオ・メンデスの影響を受けたボサ・リオっていうアーティストがいて、そのCDをめちゃくちゃよく聴いていたんです。それで大学1年生のときに友達と車でどこかに行こうということになって、親父の車を借りて友達を乗せながらボサ・リオをかけていたら、“お前、なんでこんな古い音楽聴いていんの?”って鼻で笑われて。そのときに初めて、自分が良いと思う音楽がみんなと一致していないことを痛感しました。ただ、一致しないのはいいんだけど、ボサ・リオを“古い”で片付けられない気持ちがあって。
——周りに合わせて流行の音楽を聴いた方がいいのかな、という気持ちはありませんでしたか?
ふかわ 友達とカラオケに行ってもあまり楽しめなくて。どうしてみんなこういう曲が好きなのかな?みたいな感じで。歌詞に感情移入してしまい、つらい気持ちでカラオケ・ボックスにいた記憶があります。
コード(和音)に出会って、クラシック・ピアノの概念から解放された
——十代のころから曲作りもしていたのですか?
ふかわ 曲を作るようになったのはこの世界に入ってからです。高校時代はピアニストになりたいと思っていたのですが、テレビの世界に飛び込みたいという気持ちの方が強くなって、“音楽は趣味として”と割り切るようになりました。でも、この世界でいろんな方と出会って、小西康陽さんとかつてのスネークマンショーのようなものを作りたいということで、小西さんが音楽、僕がコントというすみ分けでROCKETMANというユニットを始めたんです。
ですが、なまじ小西さんのスタジオを目の当たりにして我慢できなくなってしまって、自分でもやっぱり音楽表現をしたいと思って始めたのがDJだったんです。だから、どちらかというと自分で作るための土壌として始めました。25~26歳のときだったと思いますが、サンプラーを使ってリミックスをやったり。
——そのときに使っていたサンプラーは?
ふかわ AKAI PROFESSIONAL MPC2000XLです。当時はある種王道なサンプラーですよね。アナログ的にターンテーブルからサンプリングして、MPC2000XLだけでガシガシ作っていました。パソコン無しで。今みたいにDAWで波形を見ながら加工するのではなくて、ダイアルを回して耳で聴きながら操作するという。
——今考えると手間のかかる作業でしたよね。
ふかわ そうですよね。でも、とにかく情熱だけはあったんですよ。その後、キーボードも加えるようになるんですが、そこで役に立ったのがコード感でした。
——コード=和音のことですか?
ふかわ 大学のころにラテン・アメリカ研究会というのものに入っていて、そこでフォルクローレやボサノバをクラシック・ギターで演奏するようになったんですが、コード弾きはクラシック・ピアノでは用いられないものだったんですね。自由度の高さと音楽の舞台裏を目の当たりにしてしまった。コードというのは絶対に必要なわけではないですけど、音楽を表現する道具としてコードを知ったのはかなり大きな出来事でした。
——2000年代に入って、ROCKETMANはふかわさんのソロ・プロジェクトになるわけですよね。そこからはDAWを使って楽曲を作っていったのですか?
ふかわ そうです。最初のDAWは音楽雑誌の付録に体験版CD-ROMが付いていた(MAGIX)Acidで、それから(PROPELLERHEAD)Reasonも使っていました。今みたいにYouTubeですぐ発表するような時代でもなかったので、いつか形にできればなという感じでコツコツ作り続けていました。それでDJを始めて10年くらい経ったときかな、たまりにたまったハード・ディスクの中の曲を誰かに聴いてもらいたいと思ったんですよ。
そのときに浮かんだのが、デビューしたてのときにお会いしたICEの宮内和之さん……残念ながら他界してしまったんですが、宮内さんに電話して事情を話したら“聴きに行くよ!”って言ってくれて。当時乗っていたバイクFUSIONで宮内さんを迎えに行って自分の家まで二人乗りして(笑)。ドキドキしながら自分の音を聴かせてみたら、“いいね、ふかわ君!俺がギター足すよ”って言ってくれて、それROCKETMANのアルバムにつながったんですよね。僕の中で宮内さんはかなり大きい存在で、僕のために言ってくれなかったらもっと時間がかかったと思います。
エモいかエモくないかで言うと、今回のアルバムはエモいと思います
——当時から今日に至るまで、コンスタントに楽曲を発表していますが、タレント活動との両立は大変ではありませんか?
ふかわ 僕の場合は、誰に頼まれるわけでもなく、完全に自分のタイミングで曲を作っているので。音楽表現をしないと精神が不安定になるというか、僕にとって音楽は大事なもので。お笑いの側面と音楽の側面は端から見ると二面的に見えるかもしれないですけど、僕の中では根底でつながっていて、DJをしていていることと生放送でMCしているのは表現としては違うものですが、向き合い方としては同じなんです。DJを続けてきたということが今の仕事にとても生かされていると思うんですよね。
——そんな中、9月7日リリースの6年ぶりとなるアルバム『退廃惑星』は、軽快なダンス・ミュージックの中にエモーショナルな部分が感じられる作品でした。テレビで見るふかわさんとは印象がかなり違う気がします。
ふかわ 何が表面に出るかはそのときによって変わると思うんですよね。立ち位置としては違うかもしれないですけど、根底では無関係ではないというか、相互に影響しますよね。
『退廃惑星』ROCKETMAN
スペースシャワーネットワーク:DDCZ-2288/CD
退廃的な世界を音で描いたコンセプト・アルバム。先行発表のキラー・チューン「どうにかなりそう feat.トミタ栞」がクセになります。楽しいながらもどこか影を感じる良曲が詰まっているので、ぜひチェックしてください。
——意図的に切なくしようとしているわけではない?
ふかわ エモいかどうかで言うと、今回のアルバムはエモいとは思うんですよ。“退廃的”というコンセプトもあるので、そういう部分を強く出していますけど、それは子供のころに浴びたオフコース・サウンドが潜在的にあるのかもしれないです。あとは、クラシック・ピアノで言うとドビュッシーの世界とつながるところもあると思います。それを切ないと表現するのかは分からないですけど、パワー・コードで攻めるようなものではないという。あとはボサノバのテンション・コードでしょうかね。だから、正直に“自分の冷蔵庫にあったものだけで作りました”ということだと思うんです。外の食材を無理に取り入れずに、自分の家にあったもので作ったという。それが一番しっくり来る表現ですね。何かを意識してとか、どこのマーケットにという考えも無く、自分の中にあるものだけで作りました。
自分にウソをついた音楽は、聴いている人にも伝わってしまう
——このご時世、自分に素直でいるのは本当にすごいことですよね。
ふかわ プロ失格ではあると思うんですよ。人が聴いてどうこうみたいなことやマーケットを意識してやっているわけではないので。でも、ただ落書きをしているわけではないんです。商品として仕上げる作業はしているので、決して楽ではないんですけど。
——ふかわさんは“見られる商売”だと思うので、聴き手の反応をすごく意識して作っているのだと思っていました。
ふかわ もちろん見られることを気にしていないわけではないですけど、好きな音を表現し続けているというのが近いですね。何だかんだ言ってウソが見えると聴いている人が冷める部分もあって、うまい下手や優劣を超越して、好きなものを表現することが一番なんじゃないかなと。あとはずっとクラブでDJをやってきたので、フロアの動きをイメージしながら作るのが僕の気持ちよさだったりもして。自分の世界にこもっているわけではなく、フロアとリンクしている感覚はあるんですよね。
——フロアをイメージしていることが内向的になり過ぎないバランスになっているのでしょうね。自分がフロアでかけたい音楽を作っているという感じでしょうか?
ふかわ そうです。最近はDJ配信もやったりしますけど、実際のフロアでDJをしているかどうかは重要なところで、ROCKETMANで小西さんと一緒にやれたことが本当に大きくて、小西さんつながりでFPM田中(知之)さんに全国ツアーに引っ張っていってもらったり、そういう経験が今日につながっているんですね。僕はEDMよりも前のクラブ・カルチャーから入っているので、今はソフト上で曲のテンポを自動で合わせることもできますけど、耳で聴いてテンポを合わせるし、ちょっとズレているのが徐々に合ってくるのが面白いところだと思っていて。車で言うとマニュアルの楽しさというか。
偶発というものは曲を作る上ですごく大事
——新作で“アナログ・シンセを使った”というプレスリリースを見てとても興味深く感じています。今はパソコン内のソフト・シンセで手軽に良いサウンドが出せるので、実物のアナログ・シンセを使う必要性は減りましたよね。
ふかわ 今回はアプローチを変えたいという気持ちがあって、MIDIキーボードとソフト・シンセで音楽を作るやり方から一回離れたいと思ったんです。そんなときにMOOGのセミモジュラー・シンセ(Mother-32+DFAM+Subharmonicon)を見て、これは僕を違うところに連れていってくれるなと感じて導入しました。それまでモジュラー系は触ったことがなかったんですけど、いきなりそこに飛び込んでみたら自分でツマミで動かして音がうねる感じとか、ピッチをズラす感じとか、手に負えないところ、“ここから音が出ている”というデジタルには無い感覚にウワーと気持ちが高まって、そのあとMOOG Minimoogも買いそろえたりして。
——今までは主にソフト・シンセをMIDIキーボードで鳴らすという、パソコン内の作業だったわけですよね?
ふかわ そうです。このアルバムを作る辺りから無理矢理アナログ・シンセを取り入れて。DAWでMIDIのシーケンスを作っておいて、それでアナログ・シンセを鳴らしてみたり、とにかく違うルートを歩いてみたいなと思ったんですね。アナログ・シンセが絶対に必要かと言われたら、そうでもないじゃないですか。でも自分の中でアナログ・シンセ・ブームが到来してしまったので。自己満足かもしれないんですけど、何かインスピレーションが浮かぶというか、新しい楽器に触れると意外なものが出てきたりするんですよね。今はアナログの力を借りたいなと。
——MOOGシンセは魅力的ですよね。
ふかわ 唯一無二の雰囲気がありますよね。自分がどこに連れていかれるか分からないぞっていう期待感があります。あとMOOG Grandmotherも買いました。これも結構良い音出すんですよ。ドローン機能が付いていて、ひたすら低音のドローンを鳴らして、お酒を飲みながら“いいな~”ってずっと聴いていたりして(笑)。
——アナログなのでオシレーターが同じように鳴っていても、振幅が毎回同じではないというか、アナログならではの人間っぽさがある気がしますよね。
ふかわ 多分そういうことなんでしょうね。それにノイズ感。中高域でアルペジオをずっとループさせておいて、低音のベース・ラインだけ移動させるのをずっと聴きながら飲むのは至福の時間ですね。
——このご時世、アナログ・シンセかソフト・シンセかの違いは、楽曲を聴いても分からないですよね。それでもアナログ・シンセを使うのは気分的なものでしょうか?
ふかわ 聴き手にどう作用するか僕はそれほど重視していなくて、あくまで作る上での気持ちです。アナログ・シンセを使っていると導かれる世界が変わってくると思います。マウスを操作して音を作るのとハードウェアを触って到達するものとでは、僕の感覚では違いますね。
——新作に入っているシンセがすべてアナログというわけではないんですよね?
ふかわ そうです。DAWは(STEINBERG)CubaseとReason、ABLETON Liveを使っていて、アナログ・シンセとソフト・シンセのハイブリッドな感じです。アナログ・シンセを使ったパートもバラバラで、ベースで使った曲もあるし、裏拍で入っている部分だったり、あとSubharmoniconから作った曲もあるんですよ。
——Subharmoniconは“複数のリズム・ジェネレーターをレイヤーすることで複雑なポリリズムを生み出し、刺激的な新しいパターンやスタイルを見つけることができます”という公式の説明通り、電子音楽であったりライブ・パフォーマンスで使うケースが多い機材ですよね。
ふかわ あれで1曲作れると思わないじゃないですか。だけど「today in the hell feat.MICO」のイントロで聴けるターンターンターンターンっていうシンセはSubharmoniconで偶発的にできたもので、そこからほかの音を付け足していったんです。偶発というものは曲を作る上ですごく大事で、環境音と何かがハマるときも少なからずあるんですよね。曲を作っているときに家の前を通ったバイクの音が合わさったり、運転しているときにETCのアナウンスが絶妙なタイミングで乗る瞬間があったり、僕はそういうものに惹(ひ)かれるタイプですね。どこで何が結び付くか分からない。もちろん途中で頓挫することも多々あるんですけど、偶発的なものから曲に到達できることがたまにあって。まさかSubharmoniconの話ができるとは思っていなかったです(笑)。
小学校の朝礼台もDJブースにしたらいいのに
——このサイトは主に楽器入門者に向けているのですが、音楽を始めるのは別に若くなくてもいいですよね。
ふかわ ええ、そう思います。30代、40代でも全然アリですよね。以前、僕がもう使わなくなったオーディオ・インターフェースとかMIDIキーボードをみんなにあげようかなっていうツイートをしたら、結構反応があったんですよ。ただ、リプライの感じが“これをもらったら作曲からDJまですべてできる!”みたいな、ゴルフ・クラブからウェアからゴルフ・セット一式だと思っているような声が多くて……いや、オーディオ・インターフェースだけじゃ作れないけどと思いながら、機材が1つあれば全部できるとイメージしちゃう人も少なくないんだなと実感しました。
——このサイトでもしっかりとそこは伝えていきたいと思います。
ふかわ 本当にやりたい人って、工夫してどうにかするじゃないですか。そういう情熱があると始めやすいですよね。
——音楽始めたいという40代の人がいたら、まず何をアドバイスしますか?
ふかわ まずはDJをやってみたらいいと思うんです。他人の曲でいいから目の前の人々を踊らせる。その作業はすごくクリエイティブで音楽の喜びがあるから、原動力になると思います。その過程で“何でこの曲だと踊れて、この曲だと踊れないんだろう?”という大事な部分……人の心を弾ませるというのはどういうことかが見えてくる気がします。それはダンス・ミュージックに限ったことではなく、楽しい気持ちだろうが悲しい気持ちだろうが、人の心に何らかの動きを与えるのが音楽だと思うので。
——金言です。
ふかわ 僕は小学校の朝礼台とかもDJブースにしたらいいのにって思っています(笑)。楽器ができなくてもDJはできますから。音楽的な知識が無い人でも人を踊らせることができて、音楽のパワーを実感できる。それが音楽を作るためのエネルギーになるんじゃないかなと思います。
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